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横浜にぎわい座は、落語、漫才、大道芸などの大衆芸能の専門館です。

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第7回.横浜にぎわい座

 

圓朝作品の第一人者
 歌丸は『真景累ヶ淵』を『深見新五郎』『勘蔵の死』『お累(るい)の自害』『聖天山』『お熊の懺悔』の5席に分け、1996年(平成8年)から一年に一席ずつ取り上げて、8月中席で毎日演じた。こうして『真景累ヶ淵』を仕上げると、再び『牡丹燈籠』に取り掛かり、2002年(平成14年)から2005年(平成17年)まで『お露と新三郎』『お札はがし』『栗橋宿』『関口屋のゆすり』の4席を演じた。
 歌丸が演じる『牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』は明快な筋立てと登場人物の心の動きがよく分かるものとなっていて、評価が高い。この2演目の全体像を把握するのなら、圓朝の速記本よりも歌丸の口演を収めたDVDやCDを聴く方が早く理解できる。
 
落語と歌舞伎
 歌丸は圓朝もの以外の人情噺も手掛けるようになる。その中には『髪結新三』のように歌舞伎化されている演目もあり、歌舞伎を見ていたことが役立った。交遊のあった三代目河原崎権十郎に『髪結新三』について相談すると、「弥太五郎源七の役と大家の役について、話をしてあげたいことがあるから、いっぺんゆっくりとお会いしましょう」と言われた。ところがそのあとすぐ権十郎は他界してしまった。ところが、四代目市川段四郎が弥太五郎源七を演じる際に、権十郎に教わっていたことを知り、段四郎に話を聞くことができた。源七を演じるのなら大家も覚えてしまった方がいいと権十郎に言われて、その二役を丁寧に教わったと聞かされた。これを参考にして、歌丸は『髪結新三』を演じる時は、源七と大家は権十郎の芸を頭に描いて演じている。
 歌舞伎を落語の芸の参考にするようになったのは前座時代からだった。当時、今輔から芝居噺を教わった際に「歌舞伎は勉強になるから見ておきなさい」と言われていた。
 
 わたしは小さいころから祖母に連れられて観てましたから、抵抗なく歌舞伎を受け入れることができました。いかに扇子を刀に見せるか、いかに手ぬぐいを手紙に見せるか。それから侍と町人では煙草の吸い方ひとつとっても違うわけでしょう。そうした型を見るというか盗むために、歌舞伎が勉強になるんです(『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』)
 
 反対に歌丸が『怪談牡丹燈籠』で行った工夫を二代目中村吉右衛門が芝居に取り入れたいと言ってくれたこともあった。
 
横浜にぎわい座
 1979年(昭和54年)に東京・永田町に国立演芸場が開場したのを見て、歌丸は横浜にも公立の寄席がほしいと思うようになる。落語を残すのは落語家の責任、落語ファンを残すのも落語家の責任、しかし、場所がなかったらどうにもしようがないという思いからだった。細郷道一(さいごうみちかず)市長に嘆願にうかがうとともに、落語芸術協会の理事会に働きかけ、会長の桂米丸、副会長の春風亭柳昇をはじめとする役員の同意を得、歌丸自身は事務局長となって「横浜寄席振興会」という組織を立ち上げ、市会議員にも応援を願い出ている。歌丸後援会会長を務める鈴木正之市会議員あての要望書には「野毛地区再開発に際しては、旧中税務署跡地に庶民芸能の殿堂であります『寄席』が開催出来ます施設、例えば東京三宅坂の国立劇場の様な多目的施設を建設されますよう強く要望申し上げます。まさに、ご周知のことと存じますが、『野毛』という歴史的に庶民性の強い地域の特性を生かした庶民芸能との結びつきは、時に再開発計画の進行される時宜を得たものと確信いたしております」と記されている。
 その後も市会議員や地元有力者の集いで「落語の持つ笑いはテレビのお笑い番組の笑いとは違うんです。ワッハッハじゃあないんです。クスクスやニヤニヤという笑いなんです。横浜でそのような笑いを生む寄席が似合う、庶民的な、下町的な雰囲気のある街は野毛しかありません」と発言するなど演芸場建設について理解を求める活動を続けていく。細郷市長が急逝するという事態に見舞われるが、高秀秀信(たかひでひでのぶ)新市長が引き継いでくれて演芸場建設構想は立ち消えにならなかった。建設に向けた協議会も生まれ、「舞台は国立演芸場を見本にしてほしい」「楽屋は女性芸人も安心して使えるようにカーテンをつけた着替えのスペースを設けてほしい」など歌丸も積極的に意見を述べた。そうした準備を経て、2002年(平成14年)、横浜にぎわい座が誕生した。
 
 

 
 2002年4月13日、「横浜にぎわい座」が開場。初めて木戸をくぐった時のうれしさを、今も忘れてはいません。
「お客さんがざっくばらんで温かいね」と、噺家仲間が声をそろえます。
「横浜はオシャレな町ですね」という声を聞きますが、あたしに言わせれば、それは違うんじゃないかと。あたしはむしろ、横浜全体が下町だと思っています。「奥様」よりも、「かみさん」や「おっかあ」が似合う町。オギャアと生まれて75年、ずっと横浜暮らしのあたしが断言するんだから、間違いないですよ。
だから、寄席のお客さんもそういう人ばかり。温かく迎えてくれるけれど、こっちが手を抜くと、すーっと逃げていく。噺家にとっては、ある意味、東京の寄席よりおっかないですよ。(『歌丸 不死鳥ひとり語り』)

 
   
(2002年4月13日 横浜にぎわい座開館記念式典)
 

 
 歌丸は多忙なスケジュールの合間に、当館のさまざまな公演に出演して盛り立てた。また『真景累ヶ淵』や『牡丹燈籠』の連続公演を行い、その模様を収録してCDやDVDとして商品化し、後世の落語家がこれらの作品を演じる折りの手立てとなるように取り計らった。
 
   
(2002年5月1日 横浜にぎわい座名人会)
 
 

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