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第6回.名コンビ、歌丸と小圓遊

 

名コンビ、歌丸と小圓遊
 「笑点」が始まった1966年(昭和41年)頃は落語や演芸がブームになっていた。東宝は映画「落語野郎」シリーズを5本ほど制作し、歌丸は全作品に出演した。また大晦日に5本の番組に出演もした。まさに売れっ子だった。その人気と活躍が認められ、1968年(昭和43年)三月中席から真打に昇進する。寄席での真打披露興行は、上野の鈴本演芸場、新宿末廣亭、人形町末廣、浅草演芸ホール、池袋演芸場、東宝名人会、目黒名人会の7軒。ひとつの寄席が十日間興行なので七十日間。現在と比べると期間が長い。
 その半年後には金遊改め三遊亭小圓遊が真打になった。
 「笑点」といえば歌丸と小圓遊の口喧嘩を懐かしく思う方も多いことだろう。二人のけなし合いは名物となり、番組の中でも、手打ち式をしたのに、すぐにケンカ別れ、ということが何度も続いた。それが評判となり、コンビでいろいろな所に呼ばれた。寄席の高座でもやり合い、漫才のWけんじから「あなたたちにはかなわない」と言われるくらい受けた。
 

 
 あるとき、地方へ行った折にふたりで歩いていたら、一般の方に「本当は仲がいいの?」なんて声を掛けられたんです。それからは、一緒のときでもわざと離れて歩くようになりました。わたしのほうが小圓遊より年上だし、入門も先。古典落語を教えたりしたこともあった。本当に仲が悪かったら、人前でケンカの真似事なんてできませんからね。(『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』)
 
 1980年(昭和55年)9月、「笑点」の15周年記念の収録がハワイで行われた。その最中に初代林家三平が他界した。弟子のこん平は収録が終わるとすぐに帰国。歌丸たちは1、2日遅れて帰った。成田に着いて空港を出たら、小圓遊が花壇のへりに力なく座り込んでしまった。旅疲れかなと思いながら別れたのが最後となった。小圓遊は10月5日に亡くなった。
 その日、歌丸は鈴本でトリをとっていた。小圓遊は仕事で山形に行っていて倒れた。夕方、歌丸に代演を頼みたいという電話が入ったが、行かれるわけがない。しばらくすると、「持ち直した」という連絡が入り、安心していたら、10分もしないうち、亡くなったという知らせが届いた。食道静脈瘤破裂だった。
 
 結局、お酒で命を縮めちゃったんです。アイツも若いころは、陽気な酒だったんです。でも、気の小さい人だから、何かあるとお酒で紛らわせるようになったんでしょう。そうすると、いい酔い方をしませんから、みんなにそっぽを向かれちゃう。わたしも、飲みすぎるなって注意したこともあるんですけど、聞く耳を持ってくれませんでした。(『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』)
 
三吉演芸場で独演会
 歌丸の自宅から歩いて5分ほどの所に大衆演劇で知られる三吉演芸場がある。開場は1930年(昭和5年)。一階は銭湯、二階が劇場という造りだ。オーナーは本田さん。一時、別の興行主に劇場を貸していたが、本田さん一家の経営で再出発することとなった。1973年(昭和48年)12月、改装して再開場した披露目のパーティーに歌丸も招かれた。「笑点」で人気者になってはいたものの、このまま「『大喜利の歌丸』でいいのか」と悩んでいた時だった。劇場を見て、ここで落語と真正面から向き合う独演会を行いたいと願い出ると、「ぜひやってください」とオーナーも大乗り気。翌年の1月31日には第一回「桂歌丸独演会」が始まった。大衆演劇は一ヶ月ごとに劇団が替わり、31日は移動日として空いている。そこで独演会の開催は31日とし、8月と12月を除く年5回のペースで続けた。
 独演会を始めてからは古典へと舵(かじ)を切った。新作と古典では、口調や間(ま)が違うので、その切り替えにはずいぶん苦労した。

 

『怪談牡丹燈籠』と『真景累ヶ淵』
 1994年(平成6年)、TBS落語研究会の白井良幹(しらいよしもと)プロデューサーに三遊亭圓朝作の長編人情噺『怪談牡丹燈籠』の後半の名場面『栗橋宿』をやってみないかと勧められた。「そんなのできません」と答えても白井さんは「できます」の一点張りで、三遊亭圓生口演の『栗橋宿』のビデオテープが歌丸宅に送られてきた。途方に暮れてばかりいても仕方がないので、そのビデオを擦り切れるまで見て、テープを聴いたり、圓朝の速記を読んだりして台本を書き、それを録音して体にたたき込んだ。そして、その年の8月、毎年トリを取っている国立演芸場の中席(11日~20日)で繰り返し演じ、さらに練り上げて代表作と言われるまでに仕上げた。三遊亭圓朝の命日が8月11日ということもあり、その後、8月中席は圓朝作品に取り組む場となる。続いて手を染めたのが『真景累ヶ淵』だった。
 
  圓朝師匠の噺はどれも大長編で、筋が複雑に入り組んでいて、登場人物は多彩で大勢、難しい固有名詞も多い。演者としては、できれば避けて通りたい、難物中の難物です。
 それでも、深い人間洞察と、古風だけど無理のない勧善懲悪の展開は魅力的です。まくらを工夫し、分かりにくい部分をカットしたり、ここぞと思う個所をふくらませ、複雑な展開を整理する。演じる噺家が手間暇惜しまず仕事をすれば、必ずや現代人の心に届く噺になるはずです。(『歌丸 不死鳥ひとり語り』)

 

 

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