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桂歌丸~第2回 入門と修業

 

落語への興味
 母親のふくは終戦ごろまで巌と一緒に暮らしていたが、タネとの折り合いが悪く、終戦を機に再婚して家を出た。巌が9歳の時だった。嫁ぎ先に巌も連れていかれたが、タネが引き取りにきて、以来、巌は母親と完全に別れ、タネに育てられた。
 当時、巌が夢中になったのはラジオの寄席番組。聴いて覚えた落語を雨の日、外で体育ができない時に教壇の上に座って演じたりもした。ほかのクラスの生徒も来るようになるほどの評判で、小学4、5年の頃には噺家になろうと真剣に考えていた。その思いをタネに告げたところ、渋い顔をして寝込んでしまった。「お願いだから中学校までは出てくれ」と拝むように言われ、仕方なく学校に通った。

 
五代目古今亭今輔に入門
 巌は中学3年になっても噺家になる夢をあきらめずにいた。遠い親戚にNHK出版部に勤めている人がいたので、祖母のタネはその人に相談し、助言をもらって踏ん切りをつけた。その親戚の人がNHK演芸班の落語担当者に相談を持ちかけ、「面倒見のいい古今亭今輔師匠がいいのでは」と提案された。五代目古今亭今輔は「おばあさん落語」で人気があり、ラジオの寄席番組でもおなじみの人物だった。巌は親戚の人と演芸班の人に連れられて上野・黒門町の今輔宅にあいさつに行き、1951年(昭和26年)11月半ばから今輔の弟子となった。
 巌が通う吉田中学校は戦災を免れたが、近隣の学校は焼失していた。そのため、複数の学校の生徒が順繰りに吉田中学の教室を使っていたので一日三部制で週休2日制となっていた。巌は日曜と月曜が休みだったので、その2日間、師匠宅に通うという見習い生活が始まった。
 その初日に、いきなり噺の稽古をつけてもらうことができた。教わったのは『峠の茶屋』。茶屋のおばあさんがサラリーマンをやりこめるという今輔自作の一席だ。
 
  まず初めに、「ばばあって言ってみろ」ってんですよ。それから「じじいって言ってみろ」。「じじい」ってのは、歯で発音する。「ばばあ」ってのは、唇で発音する。だから、唇で喋ればおばあさんになる、歯で喋るとおじいさんになる、と、こういう教えかたなんです。             (『歌丸 極上人生』)
 
 人物の演じ分けをする上で大切な、顔を左右に向けて上手(かみて)にいる人物と下手(しもて)にいる人物を表す演技については紙に歌舞伎の舞台を描いて分かりやすく教えてくれた。
 入門当初、巌は「坊や」と呼ばれていたが、すぐに「今児」という名をつけてもらい、「今児さん」と呼ばれるようになった。今輔は弟子を皆「さん付け」で呼び、「噺を習いに来たんであって、掃除しに来たんじゃないだろ」と言って、弟子に掃除などの雑用をほとんどさせなかった。
 入門して2ヶ月後の1月末に神社で開かれた落語会で突然、今輔に「上がりなさい」と言われ、『峠の茶屋』を演じた。これが初高座だった。着物の用意はなかったので、一緒にいた出演者から借りて演じた。丸坊主の中学生がだぶだぶの着物でおばあさんのマネをしたため大爆笑となった。高座から下りると、今輔に「どうです、気持ちいいでしょう」と言われた。
 中学を卒業した1952年(昭和27年)4月から正式に日本芸術協会(落語芸術協会の前身)の前座となり、上野鈴本演芸場で前座として初高座を務めた。
 

 
 
鳴り物の修業
 今輔は鳴り物に熱心だった。初めは本物の太鼓を使わず、講談師が使う張り扇のようなものを作って、ひざを叩きながらリズムを覚えさせた。今輔の叩き方は皮が破れるかと思うぐらいの激しさがあった。さらに「芝居を知らなきゃ鳴り物は打てないぞ」と言い、『毛せん芝居』など歌舞伎の所作が入る芝居噺も教えてくれた。『芝居風呂』は銭湯の客が湯船で芝居ごっこをする小品だが、芝居噺の要素がすべて含まれており、覚えるのに半年もかかった。前座なのに今輔から「今日、鈴本で『芝居風呂』をやってみろ。私が鳴り物を打つから」と言われ、いきなり芝居噺を演じたこともあった。夢中で演じて楽屋に戻ったところ、今輔は「よくやった。ただ」と言葉をいったん切ってから「長かったな」と続けた。冷や汗ものだったが、芝居噺はずいぶん勉強になった。
 八代目三笑亭可楽が十八番にしていた幽霊噺『反魂香(はんごんこう)』にはドロドロドロドロ………と同じ間(ま)、同じ音の高さで大太鼓を叩く場面がある。だれもやりたがらないので今児が叩いたところ、気に入ってもらい、百円頂戴した。以来、可楽は楽屋で今児の顔を見ると、「お化けをやるよ」と声を掛けてきた。
 鳴り物ができるということで放送局などからも声が掛かった。
 歌丸は晩年まで人手が足りない時には率先して太鼓を叩いていた。当館でも六代目三遊亭円楽と2人で締め太鼓と大太鼓を分担して叩くことがあった。
 
 太鼓を叩くと、ドンと鳴るでしょう。「ド」がバチで叩いた音で、「ン」が間なんです。小さな締め太鼓ならテンと鳴りますが、「テ」が打ったときで、「ン」が間。わたしは今輔師匠から、ドンドンドンドン……という音を「口の中で言いながら太鼓を打ちなさい」と教わりました。言いながら太鼓を打つと、ちゃんと間が取れるんです。そのことを弟子たちにも教えるのですが、文字通り間の悪い人が少なくありません。噺に関してもそう。噺を教えることはできるけれど、間を教えることはできません。畢竟(ひっきょう)、人によって全部、間が違いますから。        
(『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』)

 


 
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