本文へスキップ

横浜にぎわい座は、落語、漫才、大道芸などの大衆芸能の専門館です。

文字サイズ

閉じる

玉川福太郎~第5回 初舞台

 

初舞台
 忠士の初舞台は、滝とよのおかげで突然訪れた。入門して半年ほどたった頃だった。磁気マットレスの会社が主催する浪曲大会が佐賀県鹿島市の市民会館で開かれた。出演者が半分終わったところで磁気マットレスの効用を説明し、また浪曲が続くという公演だった。公演が終わると、旅館に入り、師匠方は麻雀やトランプに興じていたが、とよは忠士に「稽古するぞ」と言ってくれた。この稽古を主催者が聞いていて、「よし、あいつに舞台をやらせよう」と、翌日、初舞台を踏むことになった。困ったのは着物を持って行かなかったことだった。

 

私の師匠は小柄ですから着物が合わないんです。これを聞いた四代目の天中軒雲月先生がね、「よし、じゃ、わしの着物、着ればいい」少なくとも二枚の舞台着を持って旅巡業に出ております。私は後見だけで、舞台やるとは思ってませんから下着の替えくらいしか持っていってなかったんです。(「浪曲に風が吹く」)


木馬亭
 入門から2年目の年となる1970年(昭和45年)5月1日、浅草に浪曲定席木馬亭が開亭する。当時は初代春日井梅鴬、三門博(みかどひろし)、梅中軒鴬童といった昭和10年代からスターとして君臨する演者や初代東家浦太郎、松平国十郎、四代目天中軒雲月など戦後のスターもまだまだ元気だったが、浪曲人気は低下していた。人気演者には仕事があっても、中堅以下、特に若手には仕事がないという現象も起きていた。そのため忠士にとっても、木馬亭開亭はうれしいニュースだった。しかし、開亭当初は東京の浪曲家がこぞって運営に参加した訳ではなく、玉川一門は不参加だった。それでも忠士は様子を探りに行った。それを知った勝太郎に「かかわるな」ととがめられてしまった。勝太郎や初代浦太郎が番組に登場するのは数ヶ月たってからだ。
 
寄席芸と劇場芸
 当時の勝太郎が木馬亭と距離を取ろうとしたのには別の理由もあった。それには浪曲の歴史がかかわっている。
 諸説あるが、「浪曲」という語が一般的になったのは昭和になってからで、それまでは「浪花節」という言い方が関東では一般的だった。浪花節は江戸時代末期に大道芸として演じられ始め、明治初めに寄席に進出した。1907年(明治40年)頃に桃中軒雲右衛門、二代目吉田奈良丸という大スターが出て、それまで観客が百人、二百人という規模の寄席で演じていたのが、千人、二千人規模の劇場でも演じられるようになった。これ以後、「大きな芸を演じろ、こじんまりした芸では大物になれない」と言われるようになったのである。
 勝太郎も大きな芸を演じて看板演者の仲間入りをしており、忠士にもそれを求めたのだ。

 

私も師匠に「大きく芸やれよ。こちょこちょした芸では大物になれないぞ」と言われました。でも私は逆らう訳ではないんですがね、人気を取った人が大劇場で大きな芸をやるのは分かるんですが、たいした力もない者が大きな芸やっても、今の時代、どうなのかな。生意気かも知れませんが、これだけ浪曲が下火になったら、この点も考えていかなければならないのではないか。べつにテレビ時代、お笑い番組に合わせることはないが、今は浪曲も原点に戻って、寄席芸を見直さなければいけないのではと。(「浪曲に風が吹く」)


 
名披露目
 年季奉公が明けると、師匠のもとを離れ、三代目勝太郎のマネージャーが営む芸能事務所STプロの専属となり、1972年(昭和47年)3月15日には、兄弟子の勝美(現・イエス玉川)とともに有楽町読売ホールで「名披露目」公演を行った。「名披露目」とは師匠宅での年季奉公が明けたことを示すものであり、「年明け披露」ともいう。落語でいえば前座修業が終わって二ツ目に昇進するのと同等の意味合いを持つ。勝美は「雷電初土俵」、忠士は「忠治と五郎蔵」を口演。二人とも「若い人に理解される節を」と抱負を述べ、浪曲関係者からも期待が集まった。
 忠士は体が空いている限り木馬亭に出演をするようになり、翌年の1973年(昭和48年)にNHKが始めた浪曲新人コンクールで決勝進出を果たす。さらにこの年12月から翌年3月に行われた木馬亭の後援会会員による人気投票で117票を集めて5位となる。この投票は木馬亭出演の多い者が人気を得る傾向があり、師匠の勝太郎は77票、初代浦太郎は58票しか集まっていない。忠士の勉強ぶりをファンが注目するようになったといえるだろう。

 

 
芸人伝_玉川福太郎第5回_NHK新人浪曲コンクール優秀者の記念LP
NHK新人浪曲コンクール優秀者の記念LP
 
芸人伝_玉川福太郎第5回_玉川福太郎、日本橋亭
玉川福太郎、日本橋亭
 
芸人伝_玉川福太郎第5回_勝太郎、福太郎、吉野静、福太郎勉強会
勝太郎、福太郎、吉野静、福太郎勉強会

 
 

第4回

第6回

ページトップへ

Copyright © Yokohama Nigiwai-za. All rights reserved.