ショー芸人としての自負と屈辱
仕事は順調で、住居購入の際の借金280万円も数年で完済。東京・赤坂のナイトクラブではフランク・シナトラからチップをもらったことも。しかし室蘭のキャバレーでは「まじめにやれ」という怒号とともに、おしぼりや灰皿が飛んできた。ビールをかけられたこともある。受ければ祝儀、こければ修羅場。過酷な状況での真剣勝負で芸をみがく。
キャバレーには芸人用の楽屋がないことが多い。ホステスの控室の隅に衝立を立てて、その裏で着替えるように言われた。ホステスが着替えている間は入室できず、店が始まるまで部屋の外で待つ。通路や階段の踊り場で着替えるということもあった。雨や雪の日でもそれは変わらない。ショパンは自分の芸に誇りを持つとともに、むなしさも感じるようにもなった。
キャバレーでは、芸としておもしろいからショーに入れたのはなく、なにか話題になったからその芸人を呼んだということでしかない。なにか変わった話題性さえあれば、なんでもいいのだ。縁日で昔やっていた六尺の大イタチとなんら変わるところはない。それは、とてつもなく虚しいことだ。だから、多くの芸人がちょっとだけやってきて、ほかにいい仕事口を見つけて二度と戻って来なかった。まじめにやった芸人なんて馬鹿みたいなもの。でも、そんないい加減な環境の中でも、お客に受けるということが確かにあり、そんなときは、だれもができないことを自分がやっているという充実感もひとしおだった。その充実感だけが俺をこの世界に引きつけていたのだと思う。『グリーンスネーク COME ON!』
ショー芸人は芸人社会においても冷遇されているという思いも深まる。テレビの演芸番組出演時の楽屋でそれを実感した。
寄席出身の連中は弟子を連れてやってきて、畳の部屋の真ん中を陣取り、着替え用にタトウをひろびろと敷いてしまうので、うちらは隅っこか、ひどい場合はいる場所がない。こんなところでも、寄席出身がなんとなくいばり、ストリップ劇場出身の連中が固まり、キャバレーのフロアーショーのうちらは一組だけ浮いていた。『グリーンスネーク COME ON!』
このような思いから「今に見ていろ」という気持ちを強く抱き、それを成長の糧とした。
東京コミックショウはショパンと鯉口に弟子2人という4人体制に固まっていく。ショパンは弟子に対しても「新しい芸を身につけよう、芸を盗もう、自分の出番を多くしよう」という向上心を要求した。ところが意気込みのある者はほとんどおらず、舞台道具の運搬や組み立てといった裏方の仕事だけをさせることになる。
弟子たちは自分の未熟さは棚に上げて、いつまでたっても舞台に立つことができないという不満をため、ショパンにいいように使われているとまで思うようになる。こうして次々にやめていき、メンバーが固定しない状況が続いた。
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