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横浜にぎわい座は、落語、漫才、大道芸などの大衆芸能の専門館です。

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第6回.充電期間を経て

 

充電期間へ
 1995年(平成7年)頃まで忙しさは続いた。そのうち、森下ひとりが呼ばれる「バラ売り」の仕事も出てくる。TBS系列で放映されていた人気情報番組「そこが知りたい」のレポーター役だ。出演料は森下がひとりじめせず、三等分したという。
 所属事務所は「芸人は放送で売れてこそ価値がある」という姿勢を貫き、マネージャーも次々と変わって、だるま食堂の三人は常に追い立てられていた。次第に仕事が減ってくると、あせらされてばかりいる自分たちの姿は本来の姿なのかと疑問を持つようになる。
 
 生の舞台で食べられるようになりたい、コントなどの表現や作品を作りたいという思いもふくらんでいきました。しかし、事務所に入れてもらって、あれこれと世話になった山口兄さんや竹田兄さんに対して申し訳ないと思い、悩み続けました。(森下由美談)
 
 逡巡した結果、今までのやりかたを変え、本当に自分たちのやりたいことを試したいという思いがまさり、事務所を退所して充電期間に入った。1996年(平成8年)のことであった。
 
 
東京メガホン
 1997年(平成9年)、森下と星野の姉妹は充電期間特別ユニット「東京メガホン」をふたりで結成する。当時、両親が長野県南部の南箕輪村に住んでいたので、南箕輪村の村役場のそばにあった喫茶店で打ち合わせをした。この時、台本は森下ひとりで書き、星野は「東京メガホン連絡所」を立ち上げて事務に専念するという分業制が生まれる。
 デビューライブは12月に開催することとなる。そのチラシに「東京メガホン音頭」の歌詞が載っている。
 
 東京メガホンそ~りゃそりゃ
 美人姉妹だよ あ~うそうそ
 は~ 東京で生まれて 流れ流れて
 水戸は納豆 静岡チャチャチャ
 両親長野でそうずらそうずら
 姉は強気で妹弱気
 どっちも似たよなものだけど
 美人姉妹だよ あ~うそうそ
 東京メガホンそ~りゃそりゃ
 善光寺なら七味だよ
 七味違うよ 東京メガホン
 あ ど~したどした そ~れがどした

 ライブのテーマは「生(なま)」。電気がなくてもどこでもできるというコンセプトのもと、マイクは使用せず、森下が青いメガホン、星野が黄色いメガホンを持って生声で演じた。大声で演じるコントなどコント四本、歌もの一本。それぞれ衣装が異なるので、合間に映像を四本流して、時間をつなぐという現在も行われている公演形態が取られた。
 二回目は1998年(平成10年)7月に「動(どう)」をテーマに、三回目は1999年(平成11年)3月に「爆(ばく)」をテーマに行なった。三公演とも下北沢の「劇」小劇場で開催された。この劇場はコントを演じるには手ごろの大きさで、1997年(平成9年)9月にオープンしたばかりだった。
 東京メガホン時代に森下も星野も結婚をしている。公演の折には夫たちにビデオ撮影などをさせた。さとうは舞台には立たなかったものの、裏方の仕事や衣装作りを買って出た。
 東京メガホンのコントは姉妹で演じているので、ツッコミに遠慮がなくなった。立ち食いそば屋のコントは、森下が重鎮のおばさん、星野が新人店員の役を演じた。この新人店員は潔癖症で手を洗ってばかりいる。「お金を握った手ではそばは作れない」と言っては手を洗って作業を中断するので「早くしなさいよ」と重鎮のおばさんはバシバシとたたいて、せかしていく。
 
 コントを見にきた星野の旦那さんの親戚から「あんなにいじめないで」と懇願されました。「たたくのも仕事です」とその時は答えましたが、時代の流れがあり、十年前にたたくのはやめています。(森下由美談) 
 
 東京メガホン時代は子ども劇場の仕事が多くなっていき、コントを量産している。また、芸人仲間から営業の仕事がまわってくることも多かった。上野のキャバクラでは、ピーナッツの歌を歌ったりして2ステージこなしたが、だれも聴いてくれていないので、「マジックショー」を始めた。酒の入った瓶に布をかけ、はずした時には量が減っているというものだ。もちろん、布をかけている間に酒を呑んでいる。呑むのは星野。客もからくりが分かっているので面白がって何度もやらされる。したたかに酔い、よろよろしながら涙目になっていた。「私もやっちゃおう」と交替を買って出た森下も千鳥足になるまで呑み続けることになる。
 茨城の漁業組合の宴会の仕事では荒くれ者のように見えて実は気のよいおじさんたちに「ビールを呑め」と勧められ、大びんを口にあてがわれた。断ることもできず、しっかり呑み干すと、「うまいか? もう一本だ」とビール攻めになった。
 事務所をやめるということは、自由に仕事ができる反面、事務所に守られることもないということを思い知ったのだった。
 三年にわたって「生(なま)」「動(どう)」「爆(ばく)」と続けた漢字一文字シリーズ三部作で東京メガホンの公演は終了し、一年間の休養期間に入る。

 
 
だるま食堂が再始動
 2000年(平成12年)、さとうも舞台復帰し、だるま食堂が再始動した。再結成後、最初の仕事は浅草東洋館での「MBM」公演。「MBM」とはコメディアンの前田隣、落語家の快楽亭ブラック、声帯模写の丸山おさむの三人による公演名。前田隣に声を掛けられて出演した。演じたのは合唱コントだった。唱歌「夏の思い出」を歌いながら三人がそれぞれ夏の思い出を語るという現在も演じているネタだ。反応はまずまず。ここは受けるかなと思ったところで受けたので、初めてにしてはよい出来だった。
 
 東洋館に出演させていただいたのはありがたかったです。舞台から離れていてコント感のようなものがにぶっていたので、お客さんの前に出ることで、どこがよくて、どこがだめなのか分かりました。舞台はいいなと感じました。(森下由美談)
 
 私も休養していたので、新鮮な気持ちで取り組めました。すごくどきどきしましたが、お客様の前でできるのは楽しかった。若い頃はすごいスピードでワーッとやってしまうところがありましたが、東洋館の時にはお客さんを意識した間(ま)を取って演じることができるようになっていて、お客さんは味方だわと感じました。空白期間があったおかげでコントへの取り組み方も違ってきたと思います。(さとうかずこ談)

 
 
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