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横浜にぎわい座は、落語、漫才、大道芸などの大衆芸能の専門館です。

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第7回.広がる活動

 

分業制
 だるま食堂再始動時においても、森下がネタ作り、星野が事務方(「東京メガホン連絡所」から「だるま食堂案内所」に名称変更)、さとうが衣装作りと会計という分業制が継承された。以前は全員でネタを作っていたが、夜遅くなると、一人寝、二人寝、気がつくと森下ひとりしか起きていないことがあり、「全然考えていないじゃないの」と森下がイライラすることもあった。ところが森下の専業になってからはストレスがなくなり、楽しく専念できてネタ作りははかどった。「私が考えるから、遅かったら言ってね」と伝える余裕も生まれ、心健やかに過ごせるようになった。それは星野やさとうも同様だった。三人が得意分野で能力を発揮した結果、さまざまな成果が生まれた。出演料の支払いが遅い相手に星野が泣き落としをして回収に成功したこともある。
 
 
復活ライブ
 名作SF映画「2001年宇宙の旅」の名から2001年(平成13年)に復活ライブを行なおうと訳も分からず思い込み、開催をした。公演名は「暮しのト長帖」。「日常音楽コント」をテーマとし、「ママさん音符クラブ」「レストラン」「だるま中学」「ボタン」「糸問屋鶴亀商店」「赤ずきん」といったコントと歌もの「らくらくお暮らしシスターズ」を演じた。この時はネタの合間をラジオドラマで繋いだ。歌を歌って、直接的に音楽を表現するものもあれば、ネタのリズムで、間接的に音楽を表現したものもあった。
 公演日は9月10日と11日、会場はこの時期のホームグランドともいえる下北沢「劇」小劇場。初日の10日は台風で大荒れの天気、さらにはす向かいにある本多劇場のお客さんが間違って入場するハプニングもあった。切り取ったチケットの半券を見て気づいたものの、自由席なのでどこに座っているのか分からない。「本多劇場のチケットをお持ちになったお客様が紛れ込んでいらっしゃいます」とアナウンスをしたところ、まん中の席で弁当を食べていた女性が自分だと気づいた。その女性が席を立つやいなや、観客が皆、拍手をして「行ってらっしゃい」と陽気な声援を送った。
 
 おかげで客席が一体化して、なごみ、久々のライブで緊張していた私たちもコントがやりやすくなりました。「神様の思し召しでは」とありがたく思っています。(三人談)
 
 11日は昼夜の二公演。夜公演を終えて打ち上げの店に入ると、大画面のテレビに飛行機がニューヨークの世界貿易センターの二棟のビルに相次いで激突する様子が映っていた。米国の同時多発テロのニュース映像だった。だれもが目を疑い、「映画ではないか」ととまどった映像だ。店内ではざわめきが続き、打ち上げどころではなくなってしまった。

 
 
広がる活動
 以後も定期的に「劇」小劇場でライブを開いたほか、2002年(平成14年)には二ヶ月に一回、会場を変えてのライブ「一万馬力大作戦」、2004年(平成16年)からは麻布十番会館でライブ「だるま天国」を三回開催した。そして2005年(平成17年)12月、当館において「だるまの毛inのげシャーレ」のシリーズが始まる。2006年(平成18年)には平成17年度国立演芸場花形演芸会審査員特別賞を受賞し、ボインボイン姿で表彰式に出席した。


~オザナリの微笑公演~

  
 ボインボインショーとは異なる、三分しかもたないアイドルグループ、スリーミニッツが誕生したのは2012年(平成24年)に渋谷伝承ホールで開いた「だるま食堂25周年/四文字熟女~おひろめ~」においてだった。当初は一回限りと思っていたが、新曲発表会を開いたり、CDを現在まで五種類発売したりするほどの根強い人気を持つようになる。
 かつては「劇」小劇場から眺めて憧れていた本多劇場にも2013年(平成25年)には「だるま食堂26.5周年/凹凹大回転」で、2016年(平成28年)には「だるま食堂29周年2DAYS/堂々どどー」で出演している。
 また、当館の他、なかのZERO小ホール、あさくさ劇亭、お江戸日本橋亭などで定期的に公演を行なうようになった。

               
 
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