コント修業を始める
1985年(昭和60年)、ユニット名を「コントだるま食堂」に変更する。それまではボケ、ツッコミという役割分担も知らなかったので、山口の指導でコントの初歩から学んだ。森下がツッコミに決まったが、その時、指摘されたのが三人とも声が高いということだった。
三人ともキャンキャンしているよりも、ツッコミは低い声を出した方がよい。そうすればメリハリがつくと言われました。でもすぐにはできませんでした。「ダメだ。声が高い。もっと低く!」と山口兄さんには常に言われ、日常生活でも声を低く出すようにしました。電話で高校時代の友達と話した時、「どうしたの? 風邪ひいているの?」と尋ねられたこともあります。無理をし過ぎて何度も声帯を枯らしていました。今はもう枯れませんが。(森下由美談)
山口にはコントのネタも見てもらった。ボケとツッコミが分かりやすいものとして、「いい先生と悪い先生」というような、立場がはっきり異なる人物が登場するコントを手掛けるようになり、山口君と竹田君のコントを参考にもした。
コントは月一のペースで作って山口に見せ、「OK」をもらえれば、「アトリエ山竹」公演に出演することができた。この公演は渋谷109のイベントスペースで行っていた。一度、どうしてもネタが作れず、三人で甲府へ逃げたことがある。甲府に着くと、ほうとうを食べ、夜遅く、駅前の旅館に泊まった。
「火は落としたけれども、風呂には入れるよ」と言われて浴場に行くと、湯船の木のフタが一枚だけはずされていて、そこから生首が見えるんです。「ああっ」と思ったら、旅館のおばあさんが節約のため電気をつけずに入っていたのです。(三人談)
その晩はコンビニで買ってきた酒を呑みながら三人でネタを考えた。しかし、さとうと星野は寝てしまい、森下ひとりでネタ作りに没頭。電車のコントを朝までに完成させた。この作品を山口に見せ、出演にこぎつけた。
コント山口君と竹田君の紹介でストリップの道頓堀劇場にも出演するようになる。ここではストリップの幕間に十分くらいのコントを演じた。セーラー服姿で登場すると、観客は何が始まるのかととまどっている様子。そこで「コントです」と断ってからネタに入った。
原則は一日四回の出演だったが、二回や三回の日もあった。面白くないと観客はまったく見てくれないので、持ち時間を長く与えられた時は四苦八苦した。
楽屋は踊り子さんとは別になっていて、コント部屋と呼ばれていた。修業中の若者が常時八人くらいいて、何人かはここで寝泊まりしている。コント赤信号の師匠である杉兵助も専属コメディアンとして在籍していた。杉はおしゃれで、いつもピカピカの白い靴をはいていて、「芸人は靴だ」が口癖だった。舞台の後は、劇場のそばの焼鳥屋のカウンターで人肌のビールを呑むのを楽しみにしていた。若者たちは杉の世話をし、「さあ、行くか」と杉が舞台へ向かうと、ぞろぞろとついていく。皆、杉にならって白い靴をはいていた。彼らは劇場のお抱えで、いつか絶対にコントで身を立ててやろうとギラギラしている。その姿にはドキドキさせられるような恐さが漂っていた。
突然、顔にあざを作っている者がいて、「夕べ、ケンカをしまして……」と弁解をした。若者たちの顔ぶれは常に同じではなく、劇場をやめていく者もあれば、入ってくる者もいた。そしていつも八人くらいの数を保っていた。
ゴムパッチン芸で一世を風靡したコントコンビ、ゆーとぴあも時々、楽屋にふらりと顔を出して、その場にいる若手の面々を呑みに連れて行ってくれた。
呑みが進むと、ゆーとぴあのホープ師匠は「呑め呑め! 東京にコントの花火をあげるんだ! なっ!」と励ましてくれるんです。パフォーマンスから演芸の世界に入った私たちにとって道頓堀劇場での日々は、芸人の空気をかがせてもらえる新鮮な体験となりました。(三人談)
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道頓堀劇場①コント部屋メイク中
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道頓堀劇場②コント部屋自炊場所
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道頓堀劇場③コント部屋出入り口いざ劇場へ
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道頓堀劇場④劇場にてコント
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道頓堀劇場⑤舞台終わりコント部屋に戻る
転機!
1987年(昭和62年)、修業期間を終えて本格デビュー。1988年(昭和63年)には第三回NHK新人演芸コンクールでコント「あなたは誰?」を演じて本選進出を果たす。この演目は恋人と深い関係になろうと決意した女性のもとに、十年前の自分と十年後の自分が現れるというSFタッチの作品。純真な十年前の自分と人生の辛酸をなめてきた十年後の自分の考え方のギャップに身動きが取れなくなった現在の自分の姿をユーモラスに描く。現在の自分が星野、十年前の自分がさとう、十年後の自分が森下という配役も適任で、代表作の一つとなっている。
1989年(平成元年)にはテレビ朝日「ザ・テレビ演芸」の新人発掘コーナー「激突!! 笑いのデスマッチ 無制限勝ち抜き戦」に出演がかなう。このコーナーのオーディションを見学に、ネタ見せ会場に行ったところ、番組スタッフに「何かネタをやってくれる?」と声を掛けられ、「ハモる少女の謎」を演じたのがきっかけとなった。「面白いね。もう一本ある?」と言われ、とんとんと出演が決まった。
「ザ・テレビ演芸」は最初に、第一線で活躍する演者二組が出演する「激突! ナウ演芸!」、次に、売り出し中の若手が出演する「フレッシュ演芸!!」、最後に「激突!! 笑いのデスマッチ 無制限勝ち抜き戦」という番組構成になっていた。「笑いのデスマッチ」のコーナーは前の週に勝ち抜いたチャンピオンと挑戦者一組が五分ずつ芸を演じた後、審査員五人による審査と講評がある。この部分も放送されるので一番長く時間が取られており、この番組の目玉となっている。なお、「無制限勝ち抜き戦」という副題がついているが、十週勝ち抜きで卒業となる。一週勝ち抜くごとに三万円、六週勝ち抜きからは五万円の奨学金がもらえる。敗者に対して審査員が容赦ない講評を述べる時もあり、まさにガチの勝負が売り物のコーナーだ。
だるま食堂が挑戦者として出演した週は「ナウ演芸!」におぼん・こぼん、コメディNo.1、「フレッシュ演芸!」にナポレオンズ、「笑いのデスマッチ」には三週勝ち抜きの漫才、トミーズがチャンピオンで出演した。
だるま食堂はネタ見せで好評だった「ハモる少女の謎」を演じた。献血を呼びかける女性の声に少女二人がハモる。女性が呼びかけを演歌の歌声で行なうと、少女たちも演歌で合わせる。この後、立場が逆転し、少女たちが民謡で呼びかけ始めたところ、女性もつられて民謡調に、少女たちの歌声がサンバに変化すると、女性もサンバで応じる。だるま食堂が得意とするコーラスコントだ。舞台をフルに使う動きもあり、温かい笑いに包まれた。このネタの作者は作家、脚本家の三谷幸喜。三谷は放送作家として、コント山口君と竹田君のラジオ台本を書いていた時期があり、その時に作ったものだ。だるま食堂は何度も舞台にかけて観客の反応を見ながら手を加えている。
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