本文へスキップ

横浜にぎわい座は、落語、漫才、大道芸などの大衆芸能の専門館です。

文字サイズ

閉じる

第3回.劇団からコントグループへ

 

星野理恵は姉の影響を受け始める
 星野理恵は中学ではハンドボール部、高校ではバトミントン部に在籍して青春を謳歌していた。その生活に変化が起きたのは姉の森下の舞台を観に行って刺激を受けたことだった。
 大学入学後、姉の劇団「大衆演劇食堂」の演出家りっちゃんから「妹さんも一緒に芝居をやりませんか」と誘いの手紙をもらい、うれしくなって入団する。
 
 ところがこの手紙は姉の差し金でりっちゃんが書いたものだったことを最近教えてもらいました。(星野理恵談)
 
 「大衆演劇食堂」の芝居「そして鳥たちは」にはモロ師岡がインコの役で出演していた。星野は人形とからむ人間の役。森下と一緒にレオタード姿でタップを踏んだ。この公演をさとうは観客として観ているが、二人が姉妹だということを知らなかったため、顔がそっくりで驚いたという。
 
 
さとうかずこ、大衆演劇食堂入団を決意
 1982年(昭和57年)、森下は西友のトイレでの約束を実現させるべく、さとうを「大衆演劇食堂」に誘う。星野とりっちゃんも呼び、居酒屋で顔合わせをした。その席上、りっちゃんが「結婚して札幌に行くことになりました」と打ち明けた。驚く三人に「札幌に来てくれるなら活動を続けるから」と、とどめの一言。仕方なく、劇団は三人でやることになり、森下が作・演出も兼ねるようになる。この時から「不条理な文学路線」から「歌と踊りとお笑いと」という路線変更が起きる。
 

 
「劇団だるま食堂」旗揚げ
 1983年(昭和58年)、劇団名を「劇団だるま食堂」と改め、阿佐ヶ谷アルスノーヴァで旗揚げ公演「はじめのいーっぽ~だるまさんがころんだ~」を行なう。アルスノーヴァは舞踊の長嶺ヤス子や田中泯、パントマイムのヨネヤマママコがスタジオとして使用していた劇場。楽屋は二階にあり、舞台にはハシゴで降りる。着物を着ていてもそうするしかなかった。客席は長椅子で六十名収容。劇場のマスターはいつも最後まではおらず、「あとは任せたよ」と鍵を渡して帰ってしまう。三人は終演後も残った観客たちと朝までそこで打ち上げをした。
 
 芝居を見ないで打ち上げから来る人がいたり、街を歩いている人が乱入してきたりして、いつも二十人くらいの宴会になりました。車座になって酒盛りをし、しまいには暗幕を布団代わりにしてゴロゴロ寝ました。(三人談)
 
 芝居は一年に一本ぐらいのペースで公演し、一作ごとにオリジナル曲も作っている。「OH! 野菜~それでもスパイか」はおばさんスパイが野菜にさせられてしまう物語。エンディングは映画「妖怪大戦争」をイメージしたものになっていて、妖怪たちが踊りながら妖怪の世界に戻っていく最終シーンにならい、ニンジンやキュウリになった主人公たちが踊りながら去る。野菜の姿ははりぼてのようなものをかぶって演じた。「だるま食堂」はこの時からすでにかぶりものの演技を行っていたのだった。
 「No.1ガールズ」は上京する女性たちの物語。「恋の東京リキュールでふけて」は大正9年から昭和4年までの1920年代が舞台になっている。冒頭は昭和初期の新宿。天ぷら屋が廃棄した食品を「もしや、もしや」と、狂言を思わせる発声と所作で取り合う路上生活者が登場する。森下、星野が男性役、さとうが女性役。三人ともかつては時代の先端を行くモボ、モガ(モダンボーイ、モダンガールの略)だった。随所に歌や踊りがちりばめられたミュージカル風の作品だ。
 

 
 
パフォーマンスに専念
 「劇団だるま食堂」の芝居は一時間半位あったので、短い作品も作ろうと、芝居と並行してパフォーマンスの活動も始める。ゴミ袋から出てきたり、四角、丸、三角の箱を身にまとって歌ったり踊ったりした。これとは別に、ショーガールに扮したボインボインショーも演じ始めた。当時はパフォーマンスばやりで、六本木のディスコ「玉椿」やストライプハウス美術館にも出演した。出演者の多くはアート系パフォーマーで、スイカと桃を半分ずつに切ってセロテープでくっつけたり、上半身裸の肩に石を重ねて載せて歩く様子を撮影したり、つり下げられたいくつものトイレットペーパーを音楽に合わせて勢いよく巻き取っていったりと難解なパフォーマンスの中、だるま食堂のお笑いパフォーマンスは際立ち、イベントに呼んでもらうようにもなる。
 

 
 
三人で共同生活
 モロ師岡がコント山口君と竹田君に弟子入りすることとなり、彼がそれまで住んでいた代々木の参宮橋のアパートに三人で住まないかという誘いがあったのがこの頃。
 
 モロさんの部屋は朝日荘というアパートの二階、角部屋の四畳半でした。モロさんの荷物がそのまま置かれたままだったので三人で住むにはほとんど隙間がありません。しかし、家賃二万円を払って三人で暮らしました。トイレは共同便所で、アパートはあと二年で取り壊すという話になっていました。(三人談)
 
 その後も、新宿の小劇場タイニイアリスでパフォーマンスショーを行なったり、タモリが出資者の一人に連なる、新宿御苑の老舗「ジャズスポット ジェイ」でボインボインショーやコントを演じたりした。ボインボインショーにおける三人の名前は現在、ダイアナ(星野)、ルーシー(森下)、マリア(さとう)で、頭文字が「だるま」となっているが、この時は森下がオーブレネリ、星野はダイアナ、さとうはマリアだった。「聖者の行進」や「サンバ」など今も演じ続けているネタもすでにできており、コントは「おーい誰か」の元となっている作品を演じた。客席にはモロ師岡がコント山口君と竹田君の二人を連れてきて、この出会いがきっかけで、だるま食堂は山口君と竹田君の所属事務所に入る。そして芝居はやめ、コント専門に活動していく。 
 
第2回 

第4回

ページトップへ

Copyright © Yokohama Nigiwai-za. All rights reserved.