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第2回.結成まで~青春期

 

森下由美、お笑いに目覚める
 森下由美は中学入学前に水戸市へ転居する。中学校では東京言葉をからかわれたが、「オリンピックに出たい」と宣言して陸上部に所属し、学校の裏山を走りまわる元気な日々を送る。
 夢中になっていたテレビ番組は、放送作家でタレントの前田武彦とコント55号の萩本欽一、坂上二郎がレギュラーで、芸人や歌手がゲスト出演してコントやゲームを行なう「お昼のゴールデンショー」と「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」だった。「ゲバゲバ」は前田武彦と、同じく放送作家からタレントとなった大橋巨泉が進行を務め、宍戸錠、藤村俊二、朝丘雪路、ハナ肇、萩本欽一、坂上二郎などが出演して、短いものは五秒ほどというコントを九十分にわたって次々に見せていく。構成作家は井上ひさしなど四十人余り。アドリブは禁止という手間ひまかけた番組だった。
 中学三年の時に武蔵野市の中学校に転校する。東京に戻り、自分がすっかり茨城弁に染まっていることに驚く。
 
 高校時代の思い出は、杉並公会堂で行われた卒業生を送る予餞会で「大奥」のバカ殿と「かぐや姫」のおじいさんを演じたことです。客席の笑い声を浴びて夢心地になりました。この辺りがお笑いへの目覚めかと思います。(森下由美談)
 
 森下高校バカ殿
 
 
森下由美、人形劇の魅力を追求
 短大では女子サッカー部に所属した。当時は女性がサッカーをするのは珍しく、胸に飛んできたボールは手で止めてもよいという特有のルールも存在した。部員は三人しかおらず、系列大学のサッカー部と男女合同で練習をした。しかし、試合ができないまま二年間が過ぎた。
 短大卒業と同時に新宿南口にあるプーク人形劇アカデミーに入所する。ダンス、発声、美術系の造形というように授業内容が豊富なのが魅力だった。五分で人形劇を作る課題があり、春日八郎の歌「山の吊橋(つりはし)」に載せて芸風の異なる人形三体を操る「山の吊橋劇場」を作った。お笑い風のこの作品について、主宰講師の川尻泰司からは「君のは面白いけれど、とんかつの上にあんこをかけてサラダオイルをかけているような芝居だな」と困惑した面持ちで批評され、美術の先生には「今すぐここをやめて、お笑いに行った方がいいよ。てんぷくトリオの弟子になりなさい」と引導を渡された。
 真面目な生徒が集まる傾向のあった人形劇アカデミーだったが、森下の同期だけは酒好きばかりだった。授業に出席するよりも居酒屋で顔を合わせる方が多くなり、その頃注目を集めていた状況劇場の芝居について思い思いの意見を述べたりするなどして呑んだくれる日々を送った。したたかに酔い、路傍の植え込みで朝まで寝てしまう仲間もいた。
 アカデミー卒業と同時に、アカデミーの同級生で呑み仲間のりっちゃんに演出家になってもらい、人形劇団「大衆演劇食堂」を創立した。
 
  昔、デパートに行くと、お好み食堂と大衆食堂がありました。私は値段の安い大衆食堂の方が好きでした。それが劇団の名に反映されています。今思うと、格好つけるのが照れくさいということだったのかも知れません。(森下由美談)
 
 その年の春に江戸糸操り人形の結城座が吉祥寺のアトリエで人形と人間が一緒に芝居をする「カリガリ博士の異常な愛情」(作・加藤直、演出・佐藤信)公演を開催した。
 カリガリ博士が周囲の者を使って連続殺人を行なう。その真相を小説家と探偵の二人が解き明かそうとする。しかし、それらが夢の中での出来事なのか実際の出来事なのか分からない展開になっている。博士の指示で動く三人の美少年は殺害相手を間違えたため、一人は首なし、一人は手なし、もう一人は足なしにされる。それでも彼らは博士に盲目的な忠誠を尽くそうと行動していく。猫舌の竜、燃える麒麟、蝶現実主義者、一本足の百足(ムカデ)、吃驚蛙(びっくりかえる)といった異形の動物が乱舞する場面もある。これらの人形と互角にわたりあったのがカリガリ博士役の石橋蓮司だった。人形と人間それぞれに存在感があり、二者の交わりから生まれる芝居の魅力にひかれた。
 森下は帰りに寄った居酒屋で、りっちゃんと「人形と人間が一緒に舞台に出られるんだ」と大いに興奮し、人形と人間がからむ芝居を作り始める。りっちゃんの好きな劇作家が別役実だったため、お笑い路線ではなく、不条理な文学路線の芝居が作られていった。
 翌年になると、自分の劇団を運営しながら、武者修行として「吉祥寺ウィークエンドシアター」に参加した。この劇団はテレビドラマ「おくさまは18歳」などの脚本を書いた才賀明が主宰した「大江戸新喜劇」が母胎。その団員だった三宅裕司が「スーパー・エキセントリック・シアター」を立ち上げて独立したため、才賀が「毎週土曜に吉祥寺で芝居を」という目標を掲げ、残った劇団員たちと結成した。他の劇団で活動している者も参加が可能だったので森下も加入した。ここで、さとうかずこや現在も俳優やコメディアンとして活躍しているモロ師岡と出会う。
 
 この劇団には吉祥寺の街を盛り上げようという目的もありました。吉祥寺のお祭りにパフォーマンスで参加した時、西友のトイレでさとうさんと「いつか一緒に何かやろうね」と話しました。(森下由美談)  
 
 「吉祥寺ウィークエンドシアター」はクリーニング店の二階で芝居を見せていた。観客を入れ過ぎて消防法に引っかかり、活動停止となったため、森下が当初思っていたほどの活動はできなかった。
 

 
 
さとうかずこは色々な小劇団を経験
 さとうかずこは高校卒業後、一部上場企業に入社して役員秘書室の受付に勤務した。毎日毎日、年配の会長や社長、副社長・専務に囲まれ、このままでは、自分の若さを吸い取られてしまうのではないかという不安に襲われ、三年程で退社して劇団ひまわりの青年部(俳優養成所)に通ったが、俳優として身を立てていくのにどのくらいかかるのか不安になる。演劇活動を受け入れてくれない親のもとから離れるため千葉の実家を飛び出し、東中野のシェアハウスに友だちと住む。そしてアルバイトをしながら「吉祥寺ウィークエンドシアター」、ロックンロールミュージカル劇団、ぬいぐるみショーなど色々な小劇団を経験した。
 
 ぬいぐるみショーは小柄な身長が幸いして、引く手あまたでした。「うちに来てくれ」と引き抜きにもあいました。怪獣のミニラになったり、人気アニメ「うる星やつら」の着ぐるみショーに出たりもしました。しかし、顔を出したくなってやめました。(さとうかずこ談)

 
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