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第1回.結成まで~小学校時代

 

 姉妹である森下由美と星野理恵、そして、さとうかずこによるコントグループ「だるま食堂」は2022年(令和4年)で結成三十五周年を迎えた。当館の名物公演「だるまの毛 in のげシャーレ」も今年12月24日、25日の公演で「20本目」となる。この機会に結成前の三人の歴史と結成後の歩みをたどってみたい。

 
森下由美はコメディと人形劇に夢中だった
 リーダー森下由美は1956年(昭和31年)3月27日生まれ。東京大森や横浜鶴見で幼少期を過ごした。当時、好んだテレビ番組は、NHK初の子供向け連続人形劇「チロリン村とクルミの木」、四代目三遊亭金馬、一龍斎貞鳳、三代目江戸家猫八が人気者となった喜劇バラエティ「お笑い三人組」、ニューヨークを舞台にしたコメディ「アイ・ラブ・ルーシー」など。
 1962年(昭和37年)に新宿区の小学校に入学。二年生の時には朗読をほめられて有頂天になる。しかし1964年(昭和39年)、中野区の小学校に転校すると、一転して厳しい環境に置かれ、天狗の鼻をへし折られる。時あたかも東京オリンピックで沸き立っていた。勉学で目が出ないのなら体力勝負でとオリンピック出場を夢見るようになる。
 この頃、夢中になったテレビ番組は、藤田まこと扮する渡世人あんかけの時次郎と白木みのる扮する小坊主、珍念のコンビに財津一郎、てんぷくトリオなどの喜劇人や歌手がからんで騒動と笑いを巻き起こす時代劇「てなもんや三度笠」。伊東四朗の女形がきわだっていた。藤田の「当たり前田のクラッカー」、財津の「きびしー」「~してちょーだい」というフレーズを真似する子供も多かった。このドラマの特徴の一つは物語の中に歌が入ること。藤田も白木も歌がうまいし、歌手はヒット曲を歌う。番組は公開収録されていて、人気絶頂のザ・タイガースが出演した時はファンの熱狂的な歓声でセリフも沢田研二の歌声も聞こえず、収録し直したという伝説が残る。
 「お笑い三人組」も物語の中で出演者が歌を歌っている。当時の映画にも同様の作りになっているものが多い。
 「てなもんや」の特色をもう一つあげておく。それは公開収録に使ったABCホールに全国の名所の光景を生木などで再現し、火薬をふんだんに使ったり、迫真の立ち回りを行なったりしたこと。観客の驚きや歓喜する模様がテレビ画面越しに茶の間に届いた。
 「デン助劇場」も好きな番組だった。やかん頭に大きな目玉が印象的な下町の親父、デン助を主役とした喜劇だ。デン助を演じた大宮敏光は大宮デン助という愛称の方が定着し、国民的人気者となった。双子デュオのザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツがレギュラー出演してコントや歌を展開するバラエティショー「シャボン玉ホリデー!」、ウクレレ漫談の牧伸二が司会進行を務めた公開演芸番組「大正テレビ寄席」にも熱中していた。「シャボン玉ホリデー!」はジャズ・バンドで、お笑いタレントでもあるクレージーキャッツならではの音楽と笑いが融合した構成となっており、だるま食堂の芸風の原点ともいえるだろう。またこれまでに列記した他の番組もだるま食堂のコントの成り立ちを考える上で見逃せない。だるま食堂のコントはほとんど森下由美が台本を書いているからだ。
 人形劇にも興味を持ち続け、作家、劇作家で文化功労者の井上ひさしの出世作「ひょっこりひょうたん島」も欠かさず見ていた。
 小学校六年時に再び転校し、新宿区戸山小学校で人形劇クラブに入る。
 
 卒業文集には「将来、人形劇場で人形を操っているという自分が見える」と書いたようです。(森下由美談)
 

森下星野、母と長女と共に


 
 
さとうかずこは怪奇もののとりことなる
 さとうかずこは1958年(昭和33年)4月19日に東京都荒川区で生まれ、六歳の時、千葉県勝浦市に転居した。
 
 松の木に登って勝浦の海に向かい、都はるみの「アンコ椿は恋の花」を歌っていました。(さとうかずこ談)
 
 翌年、小学校に入学。夢中になったテレビ番組は「シャボン玉ホリデー!」、「大正テレビ寄席」、「デン助劇場」、そして「ウルトラQ」。「ウルトラQ」は怪獣ブームをけん引した円谷プロの特撮ドラマで、怪獣が引き起こす怪奇な事件を描く。
 1967年(昭和42年)、船橋の小学校に転校し、体操部に入る。円谷プロが怪奇ドラマの決定版として放送した「怪奇大作戦」に夢中になったのもこの頃。科学を悪用した怪事件に立ち向かう人々を描くドラマだ。水木しげるの「悪魔くん」「河童の三平」「ゲゲゲの鬼太郎」といった妖怪もののとりこにもなった。さらに「キイハンター」にも心を奪われた。世界平和を揺るがす事件の解決に奮闘する国際警察秘密組織の活躍、特に千葉真一のダイナミックなアクションが人気となった番組である。ザ・ドリフターズの国民的バラエティ番組「8時だョ!全員集合」にも熱中した。市民会館などからの生放送で、大掛かりなセットを使ったコントは観客と視聴者の度肝を抜いた。特にコントの最終場面での、家が崩れる「屋台崩し」は壮観だった。
 中学では体操部に入ったが、個人種目はライバル同士のしれつな競争が求められるため、耐え切れなくなり、みんなで和気あいあいと何かを作る活動をしたいと、二年生の時に演劇部に転部した。ここではおやつを食べながらワイワイと活動を続けることができた。「卒業生を送る会」ではメーテルリンク作の童話劇「青い鳥」のチルチルとミチル兄妹のミチルを演じ、芝居の魅力にも触れることができた。
 

 
 
星野理恵は青春ドラマやホームドラマに熱中
 星野理恵は1960年(昭和35年)8月27日、新宿区で生まれる。幼稚園の頃に好んだテレビ番組は、石原慎太郎の小説が原作の学園ドラマ「青春とはなんだ」とその第二弾「これが青春だ」だった。
 小学校時代は姉の森下同様、転校を繰り返した。武蔵野市の学校では、学級会で発言しないと居残りになるシステムがあり、それが嫌で登校拒否になる。
 
 登校拒否中にドストエフスキーの長編小説「罪と罰」を読み、感銘を受けたはずですが、内容はほとんど覚えていません。(星野理恵談)
 
 小学校高学年の時に好きだったテレビドラマは水前寺清子が明るい下町娘を好演した「ありがとう」、夫に先立たれた女性がたくましく生きる姿を森光子が演じた「天国の父ちゃんこんにちは」、池内淳子の演じる芸者が得意料理の味噌汁で周囲の人々を明るい気持ちにさせる「女と味噌汁」など。映画監督の木下恵介がプロダクションを設立し、人間味のあるドラマを次々と世に送り出した「木下恵介アワー」にも夢中になった。

 

森下星野姉妹


 

第2回

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