森下由美はコメディと人形劇に夢中だった
リーダー森下由美は1956年(昭和31年)3月27日生まれ。東京大森や横浜鶴見で幼少期を過ごした。当時、好んだテレビ番組は、NHK初の子供向け連続人形劇「チロリン村とクルミの木」、四代目三遊亭金馬、一龍斎貞鳳、三代目江戸家猫八が人気者となった喜劇バラエティ「お笑い三人組」、ニューヨークを舞台にしたコメディ「アイ・ラブ・ルーシー」など。
1962年(昭和37年)に新宿区の小学校に入学。二年生の時には朗読をほめられて有頂天になる。しかし1964年(昭和39年)、中野区の小学校に転校すると、一転して厳しい環境に置かれ、天狗の鼻をへし折られる。時あたかも東京オリンピックで沸き立っていた。勉学で目が出ないのなら体力勝負でとオリンピック出場を夢見るようになる。
この頃、夢中になったテレビ番組は、藤田まこと扮する渡世人あんかけの時次郎と白木みのる扮する小坊主、珍念のコンビに財津一郎、てんぷくトリオなどの喜劇人や歌手がからんで騒動と笑いを巻き起こす時代劇「てなもんや三度笠」。伊東四朗の女形がきわだっていた。藤田の「当たり前田のクラッカー」、財津の「きびしー」「~してちょーだい」というフレーズを真似する子供も多かった。このドラマの特徴の一つは物語の中に歌が入ること。藤田も白木も歌がうまいし、歌手はヒット曲を歌う。番組は公開収録されていて、人気絶頂のザ・タイガースが出演した時はファンの熱狂的な歓声でセリフも沢田研二の歌声も聞こえず、収録し直したという伝説が残る。
「お笑い三人組」も物語の中で出演者が歌を歌っている。当時の映画にも同様の作りになっているものが多い。
「てなもんや」の特色をもう一つあげておく。それは公開収録に使ったABCホールに全国の名所の光景を生木などで再現し、火薬をふんだんに使ったり、迫真の立ち回りを行なったりしたこと。観客の驚きや歓喜する模様がテレビ画面越しに茶の間に届いた。
「デン助劇場」も好きな番組だった。やかん頭に大きな目玉が印象的な下町の親父、デン助を主役とした喜劇だ。デン助を演じた大宮敏光は大宮デン助という愛称の方が定着し、国民的人気者となった。双子デュオのザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツがレギュラー出演してコントや歌を展開するバラエティショー「シャボン玉ホリデー!」、ウクレレ漫談の牧伸二が司会進行を務めた公開演芸番組「大正テレビ寄席」にも熱中していた。「シャボン玉ホリデー!」はジャズ・バンドで、お笑いタレントでもあるクレージーキャッツならではの音楽と笑いが融合した構成となっており、だるま食堂の芸風の原点ともいえるだろう。またこれまでに列記した他の番組もだるま食堂のコントの成り立ちを考える上で見逃せない。だるま食堂のコントはほとんど森下由美が台本を書いているからだ。
人形劇にも興味を持ち続け、作家、劇作家で文化功労者の井上ひさしの出世作「ひょっこりひょうたん島」も欠かさず見ていた。
小学校六年時に再び転校し、新宿区戸山小学校で人形劇クラブに入る。
卒業文集には「将来、人形劇場で人形を操っているという自分が見える」と書いたようです。(森下由美談)
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