1.寄席Q&A
Q1 「高座」の由来を教えてください。
寄席の舞台を「高座」と呼ぶのは、僧侶が説教をするために座る高い台を「高座」と呼ぶことから来ています。「前座」は高僧の前に話をする修行僧を指す「前座(まえざ)」から、講談の別名「講釈」は仏教の教えを解釈し講義するという意味からです。皆、仏教由来の言葉です。
Q2 寄席の高座(舞台)への登場は上手からですか? 下手からですか? 決まりはありますか。
向かって右が上手、左が下手ですが、にぎわい座や鈴本演芸場、末広亭は上手から、浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立演芸場、浪曲の木馬亭は下手から登場します。その寄席ごとの楽屋と高座の位置の関係で使い勝手のよい方から登場しているからです。
Q3 着物には決まりがありますか?
黒紋付きに袴が正装です。落語や講談では、昇進、襲名の口上や、正月などめでたい高座で装います。
通常は袴をつけず、紋付きの着物に羽織姿が多く見受けられますが、武士が登場する噺、動きが多く、すそが乱れやすい噺では袴を着ける演者もいます。
しかし浪曲の場合は袴をつけて演じることが一般的です。着物は江戸では噺の邪魔にならない色紋付きや渋好みが好まれ、上方では鮮やかな色や、明瞭な紋様の入った着物が好まれる傾向があります。
また、夏には絽や紗の羽織や着物が涼しげに見えます。なお、羽織の着用は二ツ目から許されます。
絹物ばかりかと思いきや、化繊のものも多いのだそう。それは「洗える着物」。
芸人さんにとって着物は日々の作業着なので、洗えることは重要ですよね。
化繊といっても絹物に負けない質感で、実はお値段も勝るのだとか。芸人さんの個性も感じられる着物もお楽しみください。
Q4 “紋”について
二ツ目(浪曲は名披露目)になると、“紋付”を着ることが許されます。基本的には師匠の紋を付けますが、実家の紋を使う人もいれば、名跡を襲名して先代の紋を踏襲する人もいます。春風亭昇太師匠のクラゲや林家彦いち師匠のげんこつなど、オリジナルデザインも増えています。また、形見分けで着物を譲り受けることもあります。
その時、自分が使う紋でなかったら、どうするのでしょう。手っ取り早い方法として紋のシールを貼るというのがあります。一般的な紋なら通販でも販売しています。「笑点」の大喜利の着物にもシールが使われています。
Q5 お囃子さんにはどうやってなるの?
寄席の出囃子で三味線を弾いてる“お囃子さん”。現在は国立劇場の寄席囃子研修生からスタートしますが、「長唄三味線の素養」が応募資格となります。研修では長唄の他、清元、端唄、鳴物(笛や太鼓)などを学び、適性検査を経て各協会に所属します。
Q6 お囃子さんの仕事は?
出囃子を弾くだけがお囃子さんではありません。紙切りで「サンタクロース」と注文が入れば「ジングルベル」を、流行りのドラマが出れば主題歌だって弾いちゃいます。即興なので技量とセンスが問われますよね。
高座を陰で支える芸人、お囃子さんもすごいアーティストなんです。
Q7 東京と大阪のお囃子さんの違いは?
研修生から協会に所属する東京に対して上方(大阪)は師匠に入門します。噺の中に三味線が欠かせない演目も多く、にぎやかな上方落語の魅力の一つでもあります。上方落語協会のホームページには顔写真とともにプロフィールが紹介されています。
Q8 着物はお囃子さんのユニフォーム
東京のお囃子さんが表舞台に出ることは滅多にないですが、裏方で演奏しているときは勿論、寄席やその他の会場への行き帰り、いわば“通勤”時も常に着物です(夏は浴衣も)。その上に三味線を持っての移動は大変ですが、ここにも伝統を守り、伝える気概が感じられます。
Q9 真打披露などで行われる三本締めとは?
基本になるのは「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」という手拍子です。手を打つ回数が「三、三、三」で「九」、最後の「一」がつくことで「丸」となり、「丸くおさまる」という縁起かつぎです。これを三回繰り返します。
Q10 口上などの「隅から隅まで、ずずずいーと」という言葉は間違い!?
「ずずずいーと」という言葉はなく、「ずいと」が正解です。一つも残さず、すべてにわたる様子を表します。
「隅から隅まで、ずいと御(おん)願い奉ります」で「客席のすべて余すところなくお願い申し上げます」という意味になります。
Q11 「襲名」と「改名」の違いは?
「三遊亭圓生」「桂春団治」「神田伯山」など大物が名乗っていた由緒ある名前を継ぐのが「襲名」です。
今までにない名を考えてつけたりするのが「改名」です。「襲名」には重みがあるといえます。
Q12 大物の芸人を「大看板」という訳は?
末広亭や池袋演芸場の入り口にはトリの芸人の名が大きな看板に一人だけ書かれています。あれが「大看板」です。
その興行の目玉となる大物出演者を一枚の大きな看板に書いたことから大物出演者を「大看板」あるいは「一枚看板」と呼ぶようになりました。
Q13 「おひざ送り」とは?
客席が座敷の場合、混んできた時にお客様に少しずつ前に進んでいただいてすき間を作り、そこに新たに座布団を敷いて座っていただくことです。昔は畳一畳に三人が基本。おひざ送りをすれば一畳に五、六人は座れたそうです。今のご時世では考えられないことですが。
Q14 「天狗連」とは?
アマチュアの落語、講談、浪曲の集団のことを「天狗連」といいます。その名の由来は、趣味が高じて落語や講談、浪曲を演じ“天狗”になっているところを自嘲、揶揄したものです。
その歴史は古く、江戸時代から存在します。近年はその数も増え、大きな大会も複数開催されています。
今なお盛んな「天狗連」ですが、江戸や明治の頃はそこからプロになったケースも多く、上手(うま)いと入門の口をきいてくれる人がいたりと、プロになる一つのルートとして存在していました。
落語では、昭和の名人、五代目古今亭志ん生、浪曲では「次郎長伝」で有名な二代目広沢虎造も天狗連の出身です。
Q15 大喜利とは?
「笑点」(日本テレビ)でお馴染みの「大喜利」。お題をセンスよく解いていく芸ですが、実は「大喜利」は寄席で行う余興全般を指す言葉です。
落語の高座と別に、小噺をしたり、寄席の踊りを披露したりするのも大喜利です。落語会の「トーク」もそのひとつと言えます。
Q16 寄席の始まりまでの落語と講談の歴史を教えてください。
江戸時代になると、大名に軍談を講釈する御伽衆は職を失い、町に出て口演を行うようになります。1600年代末の元禄時代頃には、江戸、大坂、京都に講談師が現れ、神社の境内や盛り場でよしず張りの小屋を建てたりして口演を始め、町人も軍書講談が聞けるようになりました。
講談がよしず張りの小屋掛け興行を始めた元禄時代、落語には京都に露の五郎兵衛、大坂に米沢彦八、江戸に鹿野武左衛門という3人の始祖が現れました。京、大坂は屋外で、江戸は座敷で主に演じました。上方落語が見台を使用するのは屋外で演じていた名残です。
寛政期(1789~1801年)には江戸で浄瑠璃、軍書読み、説教、落語などがはやり、聴衆を集めて料金をとりました。これを寄せ場、または寄せと呼び、現在の寄席につながります。寄席興行を行った一人、初代三笑亭可楽は、くし職人をやめて職業落語家第一号となりました。
Q17 落語の寄席で講談が色物扱いされない理由を教えてください。
講談師の祖である赤松法印は1600年代初め頃に活躍しました。落語家の祖、露の五郎兵衛、米沢彦八、鹿野武左衛門が活躍したのは1600年代末頃です。これにより、講談は落語より歴史があるとされています。落語定席で講談が色物扱いされないのは歴史の長さが理由です。
Q18 寄席太鼓の決まりについて教えてください。
開場時にたたくのが一番太鼓。大太鼓を長バチで打ち、「お客様が大勢いらっしゃるように」という願いを込めて、「どんどんどんと来い」と聞こえるようにたたきます。開演5分前にたたくのが二番太鼓。着到(ちゃくとう)とも言います。締太鼓と大太鼓だけの場合もありますが、笛も入るのが正式です。「幸福が舞い込むように」という意味で「お多福来い来い」と打ちます。休憩の始まりの合図として打つのが仲入り太鼓。この太鼓には縁起かつぎの語呂合わせはないようです。終演時に打つのが追い出し。ハネ太鼓とも言います。「出てけ、出てけ」と打ちます。入場時は演技を担いでいるのに、終演時には薄情になります。これらの太鼓を打つのは前座の仕事です。
Q19 東京と上方では寄席太鼓に違いがありますか。
二番太鼓が終わってから、前座の出囃子が始まるまでの時間が違います。東京の場合、開演5分前に二番太鼓を打ち始めて、終わるのが開演2~3分前。前座の出囃子が鳴るまで待つことになります。上方の場合は開演2、3分前に二番太鼓を打ち始め、太鼓が打ち終わるとすぐに出囃子が鳴り始めます。
仲入りの終わり方にも違いがあります。東京では、ほとんどのお客様が席に戻り、客席が落ち着いたところで出囃子とともに落語家が登場します。上方は出囃子の前に、仲入りが終わる合図となる砂切(しゃぎり)という太鼓を打ちます。そして、客席が落ち着いたのを見計らい、太鼓を打ち終え、出囃子とともに落語家が登場します。
これらの東西の太鼓のタイミングの違いから、笑福亭たまが関東人と関西人の性格の違いに関するユニークな考察をしています。
Q20 師匠と先生の違いについては?
落語では真打になると「師匠」と呼ばれます。講談、浪曲のほか、漫才など色物は「先生」と呼びます。特に、講談、浪曲では、「師匠」は「先生」よりも格下だという考えがあります。しかし、浪曲や漫才、奇術などではあえて親しみを込めて「師匠」と呼ぶ場合もあり、呼ばれた相手にも喜ばれることがあります。ただし、これは呼ぶ側と呼ばれる側との信頼関係が成り立っている場合なので、あえて行わない方がよいでしょう。
また、太神楽曲芸の世界では「親方」という呼称も使われています。
Q21 上席(かみせき)、中席(なかせき)、下席(しもせき)とは?
都内の寄席は原則として10日ごとに公演内容が変わります。1日~10日を上席、11日~20日を中席、21日~30日を下席と呼びます。31日は特別興行が行われ、その興行を余一会(よいちかい)と言います。また、1月に限って、1日~10日を初席、11日~20日を二之席(にのせき)と呼び、大勢の出演者が登場したりする番組が組まれます。寄席ではこの20日間を正月ととらえています。
Q22 高座座布団について決まりごとはありますか?
高座で使用する座布団は三方の辺に縫い目がありますが、一辺だけは縫い目がありません。これは長方形の布を半分に折って、ほぼ正方形にし、上下二面の布の間に綿を入れて縫うためです。そのため、三辺には縫い目がありますが、一辺だけ縫い目がないことになります。この縫い目のない辺をお客様に向けて置くのが決まりとなっています。お客様を包み込めるようにという説もあるようですが、古くから言われているのは、お客様と縁の切れ目がないようにするためというものです。
出演者が入れ替わる時、前座さんは座布団をくるりとひっくり返す「高座返し」の作業を行います。それまで座っていた面を下にして、次の演者には新しい面に座ってもらおうという意味合いがあります。この時も縫い目のない辺をお客席の方向に向けたまま裏返します。
Q23 仲入りとは何ですか。
途中休憩のことです。出演者が高座から楽屋に入ってしまうので「中入り」という名がついたのでしょう。本来はこのように「中」を使うのが正しいのですが、「仲」を使用しているのは、人がたくさん来た方がよいという縁起担ぎからです。
「中入り」は相撲では十両の取組が終わり、幕内の取組に移るまでの休憩時間を言います。能では一曲が前場、後場の構成を取る場合、登場人物が装束などを変えるために幕または作り物の中に入ることを言います。
寄席では仲入りの前の出演者はトリの次に重要と考えられており、この演者も「仲入り」あるいは「仲入り前」と呼びます。
Q24 食いつきとは?
仲入りの休憩後の最初の出番のこと。お客様を再び高座に集中してもらうよう、出演者は観客に食らいつく気持ちが必要なことから。別の説として、観客は仲入りの時に売店で買った食べ物に食いついていて、高座に集中していない状態だからというのもあります。この出番には、観客を注目させられるイキのよい演者が出演するのが望ましいとされています。
Q25 膝代わりとは?
公演の最終出演者である「トリ」の一つ前の出番。「膝」とも言います。また、関西や浪曲界では「モタレ」と言います。トリの芸を邪魔しないことと、観客を飽きさせない高い技量が求められます。
Q26 トリと割りについて教えて下さい。
「トリ」は興行の一番最後に出る芸人のことで、主任ともいわれます。語源は、一日の興行収入から寄席側の取り分を除いた残りを興行の最後に出る芸人が総取りし、各出演者の格に従って分配するということが行われていたことによります。
「割り」は寄席に出た芸人がもらう出演料のことで、入場者数によって金額が変わります。トリの芸人が各出演者に出演料に割り当てたことから「割り」という言葉が生まれました。現在は落語協会や落語芸術協会の事務員が「割り」を作り、芸人はその作業に携わってはいません。
Q27 ビラ下とは何ですか。
公演のポスターを貼ってもらうお礼として出す招待券。横浜にぎわい座の場合は野毛のお店にポスターを貼っていただく際に「ビラ下」を各商店にお渡ししています。
Q28 「定式(じょうしき)幕」とは?
寄席や歌舞伎などでよく見かける配色に黒、緑、オレンジがありますが、これは歌舞伎の舞台で用いられる「定式幕」と言われるもの。オレンジは柿色と呼びます。江戸時代から各劇場で使われていましたが、中村座という劇場では黒、白、柿の三色でした。
Q29 「トチリ」の席とは?
劇場の座席の列は前方から「1、2,3…」と数字で示すものや「あ、い、う……」と五十一音順のもの、「A、B、C……」とアルファベット順などがあります。昔は、いろは順が主流であり、7列目の「と」、8列目の「ち」、9列目の「り」が最も見やすい席といわれています。つまり、「トチリ」の席とは、見やすい席を指します。現在も多くの劇場で、この辺りに客席横の出入り口に通じる「中通路」があり、その前後が見やすい席とされています。当館の場合は舞台の奥行が深く、1列目との距離も十分ありますので、6列目と7列目の間に「中通路」があります。当館の場合、「ヘトチ」となりますが、これも見やすい席と言われています。
また、「トチリ」の席は見やすいので、演者の失敗などもよく分かります。そこでここに見巧者が座ると、演者がそれを意識する余り、失敗することが多くなります。「失敗」という意味のトチリはここから生まれたという説がありますが、これはこじつけでしょう。