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横浜にぎわい座は、落語、漫才、大道芸などの大衆芸能の専門館です。

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5.諸芸Q&A

Q1 紙切りとは
お客様の注文を即興で切り抜きます。ハサミと紙だけで多彩な世界を魅せる芸です。藤娘などの日本的なものから、流行りの物事、
アニメのキャラクターなどの注文にも答えます。抽象的な注文にも見事な「形あるもの」に仕上げるのも見どころです。
切り方は、紙の一箇所からハサミを入れ一気に切るのが基本です。たいがいは、ハサミを入れた外側も、中側も注文の作品として完成します。
演者によっては内側をA面、外側をアナザーサイドB面と呼び、外側も内側もお土産でくれることが多いです。
同じ題材なのに趣が異なるのが魅力です。注文だけでなくお客様の似顔絵ならぬ似顔紙切りをしてくれる紙切り芸人もいます。
作品は、注文した人、またはモデルになった人にお土産として渡してくれます。人気公演では、注文する人も多くいますが、寄席で「紙切り」があれば、是非勇気を持って注文してみましょう。
Q2 太神楽と大神楽、表記の違いは?
江戸太神楽と水戸大神楽。どちらも「だいかぐら」と読みます。「だいかぐら」の意味については諸説ありますが、一般的な説は伊勢神宮や熱田神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納し、お札(ふだ)を配るもので、元の表記は「代神楽」だという説です。参拝者の代わりをつとめるという意味の「代神楽」が江戸では太神楽、水戸では大神楽となりました。「太」や「大」に大きな意味はなく、めでたい文字をつけたのだとも言われています。「伊勢だいかぐら」は「大神楽」とも「太神楽」とも表記されています。
Q3 伊勢太(大)神楽、江戸太神楽、水戸大神楽の違いを教えて。
伊勢太(大)神楽は伊勢神宮に参拝したい人の代わりに神楽を奉納し、伊勢神宮のお札を配ります。江戸太神楽は熱田神宮のお札を配ります。水戸大神楽も江戸太神楽の流れといわれてきましたが、正しくは西宮神社のお札を配っていたことが分かっています。一番福、二番福などの福男を決める正月の開門神事で知られる兵庫県の西宮神社のえびす願人という人たちは全国にえびす信仰を広めていました。水戸大神楽の人々もえびす願人でした。水戸大神楽の演目に「えびす大黒舞」があるのは両者の結びつきを示しているそうです。
Q4 太神楽の芸のレパートリーは?
太神楽は「舞」「曲芸」「話芸」「鳴り物」の四つの要素から成り立っています。「舞」は獅子舞や恵比寿大黒舞など。「曲芸」はバチやマリ、ナイフなどを投げたり、和傘をおでこやあごに立てたり、金輪やマスを和傘の上に乗せて回したりする芸など、おなじみのものです。「話芸」とは掛け合い茶番のことで、滑稽な会話を掛け合いながら『忠臣蔵五段目』などの歌舞伎のパロディーを演じます。「鳴り物」には、祭囃子や下座音楽があり、笛や太鼓、鉦などを演奏します。
Q5 太神楽曲芸について教えて下さい。
太神楽は神事とかかわりがあります。獅子舞や鍾馗舞は悪魔祓い、恵比寿大黒舞は商売繁盛を祈願します。お囃子にも祭りだけでなく葬送の曲もあります。また、曲芸に用いるバチの先端が片側だけ赤いのは御神火を表しています。そのため、赤い部分は絶対に手では握りません。傘の曲芸にも縁起がこめられています。傘は末広がりともいうので子孫繁栄を表します。そしてマリを傘でまわすことによって何事もまるくおさまるように、金輪をまわすことで金回りがよくなるように、一升マスをまわすことで一生益々繁盛をという思いが込められています。
Q6 祝福芸の万歳について教えて下さい。
めでたい言葉を歌って家の繁栄や長寿を祈る万歳(まんざい)は日本各地に広まり、それぞれの地域に根づきました。その代表が三河万歳や尾張万歳です。三河万歳や尾張万歳は2人一組で家々をまわる門付(かどづけ)をしました。語り役の「太夫(たゆう)」が扇を広げて舞いながらめでたい唄を唄い、おどけ役の「才蔵(さいぞう)」が鼓で伴奏し、合間に滑稽な言葉を入れます。ここから笑いに重点を置かれるようになります。「笑う門には福来る」と言われるように神様に笑いを捧げることが福を招くことにつながると考え、笑いの芸に変化します。
Q7 漫才の歴史について教えて下さい。
尾張万歳のレパートリーの一つ、楽器演奏の音曲万歳は小屋掛けの演芸としても演じられるようになります。そこで人気があったのが2代目伊六です。明治から大正にかけて軽口や俄(にわか)の芸を取り入れて伊六万才の名で興行しました。伊六に万才を習ったと言われるのが江州音頭の音頭取りの玉子屋円辰です。円辰は明治後半、大阪千日前で軽口、謎かけ、ものまねなどを取り入れて江州音頭と笑いが一体化した演芸を興行して人気を集めました。これ以降、江州音頭の音頭取りが音頭の間に笑いを取り入れて万才として演じるようになります。大正時代には、どじょうすくいなどの民謡、浪花節、音曲、日本舞踊、芝居、ものまね、奇術など得意な芸に太夫と才蔵の掛け合いの笑いを加えたものを総称して万才と呼ぶようになります。昭和になり、背広を着て会話だけの漫才を演じたのが横山エンタツ・花菱アチャコです。
Q8 太神楽も漫才の歴史に影響を与えているということですが……。
太神楽は太夫と後見のとぼけたやりとりにより、達者な曲芸によって緊迫した空気をなごませました。そこから「掛け合い噺」という大らかな会話で楽しませる芸も生まれました。「掛け合い噺」も漫才の元となり、歌舞伎のパロディである掛け合い茶番はコントに影響を与えています。太神楽の掛け合い噺や掛け合い茶番は曲芸、獅子舞と並ぶ太神楽の出し物であり、太神楽は尾張万歳と同様に本来はさまざまな演目で楽しまる芸能でした。東京には掛け合い噺が根づき、大正時代に関西から進出してきた万才も「掛け合い」と名乗らなければ拒絶されてしまいました。
Q9 万歳は「ばんざい」とも「まんざい」とも読みます。関連がありますか。
祝いや喜びを表す「ばんざい」は万年の長寿を祝うという意味がもととなった言葉です。祝福芸の「まんざい」も長寿を祝います。長寿を強める言葉「千秋万歳(せんしゅうばんざい)」を「せんしゅうまんざい」と読めば万歳芸を表します。「ばんざい」と「まんざい」は関連があります。
Q10 万歳(萬歳)、万才、漫才、いずれも「まんざい」と読みますが、表記の区別を教えてください。
万歳(萬歳)は祝福芸。万才は主に大正時代。民謡、ものまねなどの芸と太夫才蔵の掛け合いをミックスした芸。漫才は昭和8年に吉本興業が作った表記で、現在に至る会話を中心とした笑芸です。
Q11 「音曲」と「三味線漫談」の違いを教えてください。
三味線を弾いて唄ったり、達者なしゃべりで楽しませる芸を総称して「音曲」といいます。演奏よりもしゃべりが多く、笑いもある場合は「三味線漫談」となります。ただし、呼び方は演者の好みによります。「俗曲」「粋曲」「邦楽バラエティー」などさまざまです。玉川スミ師はまさに三味線漫談といえる芸でしたが、ご本人は「俗曲」と名乗っていました。また、男女ともに演じる芸ですが、女性演者の場合、「女道楽」と名乗ることもあります。
Q12 懐かしい色物芸人さんについて教えて下さい①→漫才の松鶴家千代若・千代菊
明治生まれで声自慢の千代若と大正生まれで三味線の千代菊による夫婦漫才。千代若の「もう帰ろうよ」のセリフで人気を博しました。千代若は民謡を歌う他、鼓を手に高座に上がることもあり、かつての萬歳の太夫と才歳を彷彿とさせました。
Q13 懐かしい色物芸人さんについて教えて下さい②→操り人形のニューマリオネット
伊原寛と伊原千寿子の夫婦による操り人形。蝶ネクタイの寛とロングドレスの千寿子が無言で操り、「花笠音頭」や「どじょうすくい」、「闘牛」など、人形がコミカルに動く様は、寄席の番組の中でも代わり映えがし、人気の色物でした。
Q14 懐かしい色物芸人さんについて教えて下さい③→津軽三味線漫談の太田家元九郎
青森出身で弟子も取っていたほどの本格派の津軽三味線を聴かせつつ、世界を回りなんでも弾いた際の「何しろヌッポン(日本)代表だからねえ」のフレーズで笑いを誘いました。
Q15 懐かしい色物芸人さんについて教えて下さい④→俗曲の玉川スミ
三歳で身売りされ一座を率いて世界を回り、その後漫才、浪曲、女優、寄席、舞台、テレビと各方面で大活躍。その知名度と確かな腕で多くの人々に愛された寄席のスターでした。最晩年まで高座に上がり続け、芸歴は85年を超えました。
Q16 懐かしい色物芸人さんについて教えて下さい⑤→漫才の内海桂子・好江
達者なしゃべくりによる丁々発止のやり取りと、二人で奏でる達者な三味線と唄。ビシッと決まった和装も見事でした。15歳年上で漫才の師匠でもある桂子を、好江が早口でまくし立てるやりとりで、寄席をはじめテレビやラジオでも人気者でした。

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